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日頃、目指していることがございます。
それは、良い意味の「過剰性」です。小生の単純かつ稚拙な仮説では、『人は過剰性に感動する』と思っているのです。
過剰性が感動に・・・
ありきたり、普通、ちょっと良い、他より良い・・・・etc。もうユーザー様は普通の良さには、ウンザリなんではないでしょうか。
厳密に検討され、競合製品との比較から緻密に考えられた新製品のスペック。非常に高度だと思います。マーケティングはもちろん否定しませんが、一方でもう飽き飽きした感じがします。
1ユーザーとしても、なにか「嫌な感じ」です。
何でここまでやるの?とか
この会社、アホじゃないか?とか
マニア・オタク?とか
・・・そう言う会社になりたいと思っています。
商いって、商売って、仕事って、確かに損益ですが、利益ですが、そうなんですが・・・それだけじゃないと思っているのです。
利益が行動の目的ではなくて、○×の行動の結果としての利益を目指しているはず・・・です。企業にも『夢』がある・・と思っているのです。
本来、会社の業績は、企業の『夢』に共感するお客さんが、製品を買って下さって、会社を支えて下さる感じ・・・。これが理想なんではないでしょうか?言い換えますと、ある会社の製品に込めたその会社の人たちの『夢』を買って下さる・・・。
会社は、お客様の喜び・自身の夢のために邁進し、世間に過剰と言われようが、夢に向かって納得の行くまで開発する・追及する・・・。
そんな、ひた向きな開発行動などが感動を生む程の「過剰性」を実現すると思います。
すげえでっかい。とか
すげえ精巧にできてる。とか
馬鹿らしいほど考えられてる。とか
驚くほど軽い・小さい。とか
こだわっている。とか
ある意味の常識を超える『異常値』に小生は感動します。
考えて見ますに、人間の感動はそうなんじゃないでしょうか?
新しいビルがでかくて、高くて・・。
美しくて・・・とか。
またお芝居などでも迫真の演技に感動した・・・とか、何か自分の辞書にある水準を大きく越えるとビックリするし感動するのではないでしょうか?
そう言えば、昔、小生の大学生の頃、近所の中学生の男の子にあの映画を見たら凄く良かったから、見てみたら・・・と言われ、素直にそうかな?と見に行きましたら、全くつまらない、あくびの出る映画で、彼の評価との落差に驚いた事がありました。
その時、多分あの子は初めて自分で映画を選び、外出して映画館で見た映画だったので、経験値が無いために、どういう内容でも映画に行く行動に満足感もあり、「良かった」、「面白かった」になってしまったんだろうな?と推察したものでした。
その意味では、送り手は水準を意識しないがごとくの心意気で追求するのですが、受け手には常識・水準と言うものがあり、それが良いほうに大きく期待を裏切られた時に感動する・・・と言う事になりますでしょうか。
しかし、繰り返しますが、送り手の行動規範としては、この「ユーザー様の水準」を意識していては、越えられない・・・。
姑息に計算づくでやっていては、それが匂ってしまうんだと思います。
純粋に追及してこそ、感動し購入して下さるんだと思います。
ユーザー様の目は肥えています。市場は甘く無いと考えています。
水準を少し越えよう・・・これには飽きていますから・・・。
では、企業はこれができているでしょうか?
実はかなり難しいのではないか?と思います。
・・・なぜこれが難しいのでしょうか?
このことの解明が小生の課題と思っております。
企業の『夢』の共有の問題でしょうか?
企業内の個人の利害・保身の問題でしょうか?
ひた向きに追求する事に「ノイズ」が入るから、できないのでしょうが、なぜ?なにが?ノイズの原因なんでしょうか?
こう言うことに真面目に取り組まないと、会社の発展は望めないのではないでしょうか?
リスクの問題、会社の中の個人の問題、複雑系です。
答えは見つかっておりませんが、今、小生が考えておりますのは、
『アホな会社でいたい・・・』
これだけであります。
先日、コンセプトの話をしましたが、開発コンセプトと商品コンセプト以外にも小生が使い分けているコンセプトがありました。
重なる部分もあるのですが、より「意味合い」をわかり易くするため、開発コンセプトをヒドゥンコンセプト(隠れたコンセプト)などとも呼んでおります。商品に込めた開発マンの本音、お客様の深層心理の本音に関わる部分を「隠れたコンセプト」と呼ぶと、お客様にコミュニケートする商品コンセプトとの混同を避けられます。
深層心理の本音
また、商品コンセプトから派生してくる広告の考え方などをコミュニケーションコンセプトと言う風に呼んだりしております。
以上のような概念分け、呼び変えは結構重要で、一からげにコンセプトでは、仕事の混同やミスが起きそうで危険と思いますし、何より、こういう考え方を持つと良いのは、開発マン自身の自分の頭が整理できる事ではないか?!と思います。
この辺の事を理解して物を考えられると、初心開発担当でも企画面が相当良くなってくると思います。
なにせ、開発マンでも始めのうちは「こう言う市場がありそうです・・・」だけをワンシート企画書に書いてきたりするのですから、コンセプトの使い分けなどを考えるようになったら、随分とスッキリしてくる筈です・・・。
これらの事を前回の例に照らせば、
開発コンセプト(ヒドゥンコンセプト)は、ベンチシートのデートカー。
商品コンセプトは、多目的空間を持つ仲間達の車。
コミュニケーションコンセプトは、若者・楽しい仲間達の基地として訴求・・・
とかになるのでしょうか。
何れにせよターゲットを素直に研究して、「池の釣りの話」のように開発していくイメージに変わりは無いのですが、概念の仕事は苦しく難しい側面もあるので、こういう言い換えの道具などが開発マン自身のために有効だと思います・・・。
すがる藁・・・は沢山あった方が良いですから・・・。
次に、かつて開発系?の本を読んで感動した視点・・・意味効用のお話をします。
イヤー、本当にたまげた話で、小生驚きました。意味効用・・・お客さまにとっての商品の意味と効用・・・を考えろと言う事が書いてあったのですが、その意味合いを突き詰めると人間心理の深い部分に行き着くそうです。
例えば虚栄心・見栄とか・・・素直に手間が省けて便利とかいくつかの類型に落ちるそうです。で、この本(なんと言う本か失念してしまいましたが・・)では論理の実験的な展開例で、フランスパンの話を書いていました。
普通に企画するとフランスパンの意味効用は美味しくて滋養になるとか・・・だと。しかし、もっと違う企画も論理的には成り立つ・・・。
こうです。「アクセサリーとしてのフランスパン」と言う大胆な企画もできると言うのです。
フランスパンがアクセサリーに!?
通常なら、最高品質のどこそこの小麦で、どういうイーストで、塩がどこそこ産で、発酵がどうで、焼きがどうで、添加剤が無くて・・・です。
しかしアクセサリーとしてのフランスパンでは、買った後パンを持って歩く姿が素敵、羨ましい、かっこいい・・・を狙うのです。
で、こう言う虚栄心を満たすパンは、高価であることとは別に、商品スペックへの要求事項も様々に変わってくると言うのです。
まず日持ちして、何日も持ち歩いても型崩れしない固さが必要であり、パッケージ(袋)も一目で高級なあのパンとわかる記号性を持つデザインで(例えばロゴだらけ)、かびてはダメで、味より色艶・形が良くて、買い物袋からどうしても飛び出すように長くて・・・などのスペックが要るというのです。
でも、それを買って持ち帰る時、電車の中で他の人たちから、
「あ、どこそこの高級なパンを持ってるわ」
「袋から飛び出してるから・・・バケットかしら?」とか、
「あんなパンを普段から食べるなんて、お金持ち??」とか、
「きっと家に帰って彼氏とワインでも飲みながら食べるんだわ」とか、
「いい暮らししてるんだわ」とか思われるわけです。
フー、これがアクセサリーとしてのフランスパンか?と思ったものです。随分と昔に読んだので、かなり小生の誤解も入っているかも知れませんが、確かこんな主旨の事が書いてありました。
小生は駆け出しの企画屋として、大ショックを受けました。まさかこう言うパンをストレートには商品にはしないでしょうが、確かに論理的にはありだ・・・と。
実際には品質も非常に良くて美味しいパンのメーカーさんがパッケージングだけでもこう言う感覚を取り入れたら面白いなーと思ったものです。
アクセサリーとしてのフランスパン・・・・企画は奥が深いものですね。
人の心に訴えるのですから、企画は人間心理のヒダの数だけあるのかも知れませんですね。
それから、ついでと言うわけではないですが、ターゲットと言う用語に関しても一つ・・・。
かつて、特に広告の世界での話として、リアルターゲットとイメージターゲットを分けて考える事を勉強しました。
リアルターゲットは実際に買ってお金を払う人。イメージターゲットはリアルターゲットの購入意志の決定に大きく影響する人、確かそんな風に習いました。
例えば、2ドアのクーペのようなスペシャリティーカーの場合、助手席に座るであろう女性の意見が、購入者(男性)の意志に大きく影響するから、女性の納得する広告を展開すると言うのです。
具体的には車の助手席に素敵な女性(外国人のモデルさん等)が、快適そうに、気持ち良さそうに乗っているCM映像が使われたりします。
現実にあったCM映像ではテストコースのバンクを走ってくる車の映像で、運転席がずーっと日陰の中になっていて、運転者が男性である事がかろうじてわかる程度なのに、助手席には女性のモデル(いかにもと言う美人)さんがくっきり・・・。
車を買うならあれを買って!(自分が助手席に乗ってたら素敵に見える車だから・・・)と女性に言わせるんですね。
考えようによっては「ふざけた話」だと思います。だって買う本人より助手席がクローズアップされているんですから・・・。
しかし、そこには計算が緻密にあるんでしょう。もしかしたら、男性に向けても、この車にはあんなに綺麗な女性が似合うんですから、そう言う女性が乗ってくれるかも知れませんよ・・・と言うメッセージを出しているのでしょうか・・・。
もっと考えたら、家族に中学生がいるような家庭に向けた車(ファミリーカー)だったら、(親が30歳の時生まれた子供が今、中学生14歳なら父親は今44歳くらい・・・)中学生の意見がかなり影響すると言われています。
だとすると、イメージターゲットの中学生の子が後部座席で快適そうにビデオを見ていたり、後部座席用のモニターでゲームをしていたり、はたまたなぜか助手席で父親の代わりにカーナビを操作して満足そうだったり・・・そんなCMが考えられますね。
ファミリーカーの購入では、中学生くらいの少年が家族にいると、その少年の方が父親より新型車の内容に詳しいため、父親が彼らの意見を参考にする事が大変多い・・・のだそうです。
この辺の広告策に絡む考え方も、開発の頭を整理する時に参考になりますね。
ただ、ちょっと脱線しますと、イメージターゲットと言う言葉には違和感があります。
おそらく小生が英語を喋れないからなんですが、イメージターゲットという言葉が現実に意味するところに適さないように感じてしまいます。
影響する人物。インフルエンス・パーソンとか・・・。
事実上の決定する人。デシジョン・ターゲットとか・・・。
なんかそう言う方がピンときますがこれは日本人英語の語感なんでしょうね。
英語が堪能な方に笑われそうです。
絵は良いですね。
絵に救われた事が「かつて」ありました・・・。
昔、就職したばかりの時、新入社の社員研修で2ヶ月間愛知県の西尾市に滞在した事があります。毎日毎日なれない肉体労働や作業などで、疲れ果てていました。この研修は就職した組織でおこなわれるのではなく、関係はするものの、まったく別の取引先に出向いて実務研修をするものでした。
研修といっても日曜は休みですが、知らない街で過ごす休日ですから、友達もいません。かと言って新幹線で毎週東京に帰ることも金銭的に全く無理でした。(当時の月給は11万円くらいでしたでしょうか)
寂しいですし、ともに研修を受けている会社の新入社員仲間はもう一人いたのですが、彼は大阪出身だったので、「近いから」と言って良く大阪に帰っていました。そのため、小生は結構一人の休日を過ごすハメになっていました。
大学出立てのサラリーマン研修生は当然貧乏で、車も持っていませんし、何もすることが無かったのです。「足」が無いのは厳しいです。この「暇」には本当に参りました。研修の気疲れや肉体的な疲労で、落ち込んでいました。
そんな時、西尾の駅の近くの喫茶店でよく時間を潰したのですが、そこに朝日グラフでしたでしょうか、絵画の写真の本が置いてあったのです。
東山魁夷さんの絵を特集したグラビア雑誌でした。
小生は絵に興味など無く、趣味も見識もありません。(未だにです)ですが、この絵に深く感動しました。絵の題は「緑響く」・・・でしたか?この絵の中、湖畔に白馬がおりました。
緑は深く、湖は深く澄み、森林の匂いがしてくるようでした。絵を見ているだけで森林浴になりそうで、そっと深呼吸したりしてみました。何かストレスが少々ほどける・・様な感じがしました。
東山魁夷さんの絵画は何点も掲載されておりましたが、全て素晴らしく小生を魅了しました。満開の月夜のさくら・・・花明かり・・・もあったでしょうか。全体的な印象では、深い緑と白馬がとても印象に残りました。『絵が精神に効く』・・・そう言う感じがしました。
過去を振り返って考えて見ますと、前述のごとく、もともと小生は絵画の趣味など無く、その見識・常識にも欠けますが、良いものは良い・・と言いますか、今までに何点か感動した絵があります。
高校時代に見たモネの一連の作品・・睡蓮でしたっけ・・・。それから・・・チューリップ畑・・・。特にチューリップ畑の方が気に入って印刷物でも欲しいなあ・・・とおぼろげに考えたりしていました。
で、開発屋の小生はいつか暇になったら、これらの絵の資料と首っ引きで、「模写」などやって時間を過ごしたいと思っています。
先の楽しみに取っておくのが、好きな絵の模写・・・。オリジナルを美しく書く実力など無いですから、せめて模写・・。
大して上手くもできないでしょうが、そう言う時間を使うのはちょっとした夢になっているように思います。
『絵』って文章のような・・・響いてくる魅力がありますですね。
かつて「気まぐれコンセプト」という漫画がありました。面白い漫画で広告業界の関係者の内幕暴露的な面白さがありましたっけ・・・。
カタカナ言葉でクライアントを煙に巻くシーン・・・とかがあったように思います。好きな漫画でした。
さてさて、開発マンにとってのコンセプト・・・。
言い換えたら概念・・・考え方・・・でしょうか。
開発のコンセプトは小生などの場合、ある種、自分のやる事を明確にして仕事がブレ無い様に紙に書いておくイメージで、使っています。
「びぼーろく」備忘録とでも言うのでしょうか?
地図でもあり羅針盤でもある・・・のでしょうか。
自分で考えた事を自分が忘れ、企画があらぬ方向に迷走するなんて・・・ある訳無いよ!!と思うかもしれませんが、これが年中起きるのですから・・・現場は不思議です。
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コンセプトは企画の羅針盤!?
コンセプト・・・も分解して(種類分け等して)考えた方がより良いと思っています。
小生が気にしていますのは、『開発コンセプト』と『商品コンセプト』の使い分けです。
開発用語のスタンダードかどうか?わかりませんが、実務の経験から大切な分け方と思っているのです。
『開発コンセプト』は開発マンが何を作るかの内容を・・・担当者限り、社内限りで、確認する・・・やることの本音だと思います。
これは、お客様には見せられません。
例えば「笑いが取れて話のキッカケになるナンパ・ツカミ用のガスライター」とか・・・。これはお客様には言えませよね。
でもお客さんのこう言うライターへのニーズが、調査で掘り下げた結果でも、本当にこう言う要望だったとしたら・・・迷わずこう作りますでしょう。
しかし、お客様には『商品コンセプト』を伝えます。
この場合せいぜい「面白ライター」「ネタ・ライター」「笑えるライター」?とか言うのでしょうか。
要するに「言わずもがな」な開発の本音が開発コンセプト。それをお客様に伝達するために言い換えたのが「商品コンセプト」。
開発マンは「笑いが取れてナンパ・ツカミができるライターを作ろう」と考えて仕事をするべきだと思います。
ただ、できた物をお客様に伝達する時は、買う事の意味が「嫌なもの」にならないように言い換えます。
このことの混同は「そんなこと無いよ」「起きないよ」と考えられるかもしれませんが、実は勘違いが結構おきやすいところだと思っています。
それから、この「開発コンセプト」の仕様への反映ですが、ブレ無いで考えられれば多分活きてくると思います。例えば彼女の笑いを取るシチュエーションは・・・くらい部屋?とか・・・だから光の演出が向いている?とか・・・はたまた笑いを取るべき時は・・・隠しスイッチで必要な時だけ音を出すとか・・・それはお茶している時?歩いている時?自分の部屋?とか落とし込んで行くんだと思います。(閑話休題)
混同?には、大企業さんの実例も??あります。
わざと狙ったのかもしれませんが、ある自動車の広告で、小型ミニバン(新車)でした。キャッチフレーズに曰く・・・『二人のデート・カー』・・・。
これはかなり辛かったです。ベンチシートの車で、助手席に手が届きます。二人は密着できるのです。
でも、この車買って、気になる子をデートに誘ったらその子もおそらく同じCMを見ているでしょうから、下心丸見えと言うか、もてない男であるのが「バレバレ」と言いますか・・・。そもそも、彼女がいないから買う車みたいです・・・。
まして、女房もちの場合、若い子をそう言う下心無しでも車に乗せる時、「この先輩は私を口説きたいわけ?」などと、痛くも無い腹を探られそうで、なにか妙に恥ずかしいです。
ちなみに、これは四角い感じのカッコ良い車でしたが、小生はこのCMで気持ちが引きました。
助手席と運転席がベンチのようなシートで繋がっている、「いかにも」の車を「二人のデート・カー」というのは開発コンセプトが外部に出てしまった?のでは無いでしょうか?
商品コンセプトは「仲間の空間」とか「エンジョイ空間」とか「フレンドシップ・カー」とか、言い換えて欲しかったなーと思いました。嫌な意味合いにならないように・・・。
・・・で、まとめっぽく言いますと、あくまで開発は、ユーザーさんの深層心理に訴える物を本音で作るべきだと思います。
そして、開発マンはこの開発コンセプトに基づき商品仕様を考える時、ついつい枝葉が茂り、違う方向に向かったり、小さなギミックに惚れてしまって全体がボケてしまったり、コンセプトまで覆したりするので、適時「紙」を見直してどの仕様が幹でどの仕様が枝葉か、確認するべきだと思うのです。
スタートの段階でも、コンセプトの抽出は「送り手の独善」ではダメで、本当にユーザーさんが求める事を素直に聞き、勉強し、組み立てる事が前提であるのは言うまでもないですね。
白状しますと小生はこれをやっておきませんと、開発中に『あれ、俺は何を作っていたんだっけか??』などと、なりがちなタイプです・・・。