「高級とは?の悩み」
実は小生、高級っていったいなんだろうか?と相当悩んでいました。
弊社の「Premiumカバンの中身」・・・革製品をやる時にずいぶん考え込んでしまいました。
そもそも高級品をやろうと言う動機はありませんでした。
お客様のご要望にお答えする形で、皮製で良い品質のものをと・・・とチャレンジしていただけでした。
国産で、特定の職人さんの手をかけた物作りになった結果、お値段は3万円という相当な金額になりました。
お値段がお高いことと高級とは違うのではないか・・・。こういう思いが小生にふつふつと沸いてきました。
弱小企業ビー・ナチュラルの高額品ではあっても、高級品と言うのはおこがましいのではないか・・・と。
高級なるもの・・・これは小生にはまだ到底実現できない難しい領域・・と思い始めていました。
悩んだ挙句、「高級」は企業の哲学が醸成するもの、伝統が醸成するものという考えに至りました。
例えば大好きな高級車(自動車)で考えた時に、だんだん頭が整理できてきた・・ようなのです。
ドイツの名車・・・をなぜ人は欲しいのだろう・・・と?
なぜブランドと言われる程になったのだろう・・・と?
ドイツのあるメーカーは小生にメッセージを感じさせます。
「軽快でフットワーク良く、スポーツとはこれだ、すごい走るぞ・・・」と。
またもう一つのメーカーはもちろん速い車ですが、
「どっしりと重厚な乗り味、万全なパッセンジャーへの配慮、速さ」を訴えてきます。
またもう一社は4WDを背景に
「先進性とは、このロードホールディングの事なのだ、ハンドリングはこれだ・・・」と
この各社は、その会社の作る車すべてに、こう言う哲学を貫いているように感じました。
イギリスの超高級車の老舗は小生にこう言います。
「車に乗る行為とは心地良さなのだ。もてなしというのはこう言うことだ・・」と
フランスのメーカーの車は小生にこう言ってきます。
「乗り心地の良さとはこれの事だ、モダンとはこう言うことだ・・・」と
確立された高級車メーカーが、なぜそう思われるのか考えてみました。
小生なりに思ったのは、彼らがフィロソフィーを大切にし、それをすべての製品で表現し、長年をかけて市場の信頼を得、理想を貫いているからではないか?ということでした。
理念・理想に共感しお金を払う・・・これが「高級」を買う人々の心意気なのではないかと・・・。
一方、小生に照らしながら、新規参入のこう言うカテゴリーの高級車を考えてみると、ブランドの哲学がまだ市場に伝わりきっていないし、それは先ほど海外の高級車で書いたような一言で語れるような認知が醸成されていない事だし、言ってみればあたり前ながら、積み重ねが不足しているんだろうなあ・・・と思いました。
例えば非常に普遍的な価値「静けさこそが快適性なのだ・・・」「環境を破壊しないのだ」「燃費なのだ」などを提供して、これを物づくりの哲学としていたら、それはそれで共感を呼べ、素晴らしいと思うのです。
しかし、その会社の同じブランドの製品のすべてが、お客様に対して静かさを提供していないと、理念の貫き方が足りないことになり、お客様と向き合った哲学にはなりえないのでは・・・とも思いました。
通常のグレードと「高級」の違いは、このメッセージ性の強弱が、かなり重要なポイントのような気がします。
「高級」を構成するのは長年にわたるメッセージだ・・・と言うと、言い過ぎかもしれませんが、外れてもいないと思いました。
良いと思う事は全製品に投入しお客様に提供する・・・。
大衆車から高級車まですべてにブランドの哲学が封じ込められている・・・。
こうなると会社(同一のブランド)として商品ランクごとに価値観が分散することを防げ、この会社は何を訴えているかが明快になると思います。
しかし現実には、商売的配慮をして小型車はヤング層を狙い「ちびっ子ギャング」、ミドル層の車は中流気分に応えて「燃費と室内の高級らしい素材」、高級車は「本当の高品質素材と静粛性」のようにマルチな価値観の提供になりがちで、だとしたら、それはメーカーがフィロソフィーを訴えていることにはならないのではないか?と考えてみたのです。
会社が本当に、「この哲学をお客様に届けたい」と考えたら、それは金太郎飴のようになっていて、ブレ無いほうが分かりやすく伝わると思います。
でも、これが小生にできるでしょうか?
まだ、できそうにありません。
怖いです。
一つの思想で製品の理想を作り上げ、それでくくって、それを骨太に鍛え上げ、ブレずにやっていくのは、ある種のリスクを感じてしまいます。
自信の裏づけもありません。
自分たちの会社の哲学が受け入れられている・・・と言う自信が無いのです。
最近出てきた多くの競合品は小生の心を揺さぶります。
彼らと同じ様な作りで、安い値段のものを出そうかと真剣に考えたり、迷っています。
自分の理想で物を作って、それが本当に市場に受け入れられ、食べていけるのか?自信が無くなってきます。
高級を実践するためには、そう言う確たる自信、実績の裏づけがないとダメだと思い始めたのです。
言い換えたら「顧客」・・・かもしれません。
うちの会社の考えに共鳴して応援してくださるお客様が沢山いらっしゃる・・・。ドイツのメーカーさんはこう言う自信に満ち満ちているのだと思います。
だから、理想の探求、絞込みにもリスクと考えず、市場に迎合せず、競合に惑わされず、自身の信じるフィロソフィー・価値観を提供できるのだろうと思います
当然お値段は市場に迎合していない分、少量生産を余儀なくされると思われ、お高くなると思います。
お客様が、この「理念」ゆえのお高いお値段を「上等じゃないか、私が支えてやろう」とお考えになる時、高級なる物が成立するように思います。
翻って弊社です。
言うまでもありません。まだまだ「ダメダメ」です。
理念、理想、フィロソフィーを語るはるか以前の、基礎的な良いものを作れるように、頑張って研鑽を積む段階だと思うのです。
高級なる物を考える時、自分たちの未熟を思い知りました。
今はまだ、「高額品」からのチャレンジです。「高額品」は本当に難しく、弊社には大変なことです。
もっと頑張らなくては・・・と思い、恥ずかしい気持ちが致しました。