以前、人から聞いて、そう言うものの見方をするのか?と衝撃(大袈裟ですが)を受けたことがあります。
『日本は今や二流の国で、世界から相手にされていないんだよ・・』と言う話でした。
話は成田に着いた海外からの来客の話で始まりました。確かイタリアから来たお客さんを迎えた時の話だよと・・・説明してもらったのです。
まず成田に着いたら、成田がとても遠いので驚かれた・・・。社用の車でお迎えし、高速で東京に向かっている時に素朴な疑問を言われた・・・。『あなたは税金を払っていないのか?』『高速道路を通るだけで、何でそんなに高額なお金を払うのか?』といわれたそうです。
彼らの常識では高速道路は無料・・・一部新規開通区間などが有料の時もあるが、安価な負担だし、数年で無料になる。あなたがこんなに高速道路に払うのは、税金を未納で問題があるからではないのか?なんて・・・。
『常識』の違い・・・とはそう言うものかと思いました。税金をきちんと払っている国民が道路を使うのは、タダが当たり前・・・。これが世界の常識なんだな・・・と。
その海外からのお客さんは、色んなことに驚いて帰って行かれたそうです。
電話料金が高い。
航空券が高い。
食品に消費税が掛かるのか?などだったと思います(多少うろ覚えですが・・・)
いずれにしましても、日本が世界のスタンダードから、かけ離れている事は結構多いのだそうです。真偽は確かめておりませんが、イタリアでは一般の食品(日本で言う米・味噌・醤油)には税金が掛からないそうです。食品では例外的に非常に贅沢な品目2つ・・くらいだけ税金が掛かるのだとか・・・。どこか産のメロンと、何かもう一種だけに。
しかし、この2品目でさえ、税を掛ける掛けないでもめて、国中が論争になったとか・・・。一方で、フェラーリは税金が高くて2倍の価格になると言う話もありました。イタリア人は国内ではフェラーリを買わないとか・・・これは随分前に聞いた話ですから、EUとなった現在でも他国でフェラーリを買っているかどうかは分かりませんが・・・。
日本人はおとなしいね・・・。そのイタリア人が言ったそうです。「イタリアなら日常の食品に税金が掛かったらその政権は、間違いなく持たない・・・」
文化の差と言いますか。知らなかった。と言いますか・・。
海外の法人で日本に極東の本拠を持とうとする会社は殆ど無い。オフィスを買っても借りても、電気を使っても、物を輸送しても、通信しても日本はハイコストだからだそうです。
日本をうっすらと軽蔑?しているのでしょうか・・・。世界では非常識でも、それを日本の常識にしている国ですから、「何かこの人たちは変だ・・・」と言う視点で見られているのでは・・・と言う主旨の話でした。日本は「Asian Strange Fruit」(アジアの奇妙な果実)とでも言うのだろうな・・と言う事でした。
これは小生、ショックでありました。日本は良い国だと思っていますから・・。
日本人とはビジネスで組む事は無いが「良いお客さん」なのだそうです。
そう言われてみれば、日本にヴィトンもシャネルも直営店があった?!・・・。
マーケットだけが魅力的な、とても一緒にはビジネスをしたくない国・・・日本。アジアの拠点を置くことは無い国・・・日本。悲しい話です。
このことから小生は、「日本が世界のスタンダードと違う事をやっている場合、そこには、何か日本独特の冗費が掛かる?構造的な問題があったりするんだろうな」と考えるようになりました。
こう言う着眼で考え始めますと、いろいろ「日本」については思い当たる事が出てきます。・・・道路建設が・・年金の保養施設の無駄遣いが・・・などなど。きりが無いほど「気が付く」と言いますか・・。
一度、識者の方に日本と諸外国との違いを一覧表にしてみて欲しいくらいですね。
それからもう一つ考えましたのは、ヨーロッパとは民主主義の本質と年季、深さが違うんだな・・と言う事です。
血を流して封建制を倒し、革命を経て、民主国家を勝ち取った国民性と、日本のように戦後、他国から与えられた制度で民主主義なのは国民意識に大きい違い、差があるのだなとも思いました。
ヨーロッパでは市民の方に筋金が入っている。普通の批判眼が社会に根付いているとでも言うのでしょうか・・・。大人の文化と言いますか、歴史・文化の大きな差と思うようになりました。
日本では、学生がそう言う視点でものを見るチャンスが与えられているでしょうか・・・。
そういう教育などの様々な日本の問題点が、『ビジネスで相手にされない国』として、ツケが回るように跳ね返ってきているのではないでしょうか?
非常に寂しい話になってきてしまいましたが、納得性、正当性が低い事を国中でやっていると、井戸の中のカエルの国・・になってしまうのだろうなあと思います。
高度成長の頃、必要とされたビジネスマンの資質は『協調性』だったと思います。
そう言う当時の日本ではそれが良かった・・・長いものに巻かれて・・・等の論理で走ってきた事は、その時代を反映していたのだと思います。
しかし、やはり『1+1=2』と言うような当たり前のことを当たり前の答えで確認できない国は、世界ではダメなんでしょうね。
特定の人々が『1+1=3』と言い、そうだねとなっているような国はいかんのでしょうね。そこでしか通用しない論理はたぶん相当危険なんだと思うのです。
戦後60年を記念して色々な番組が戦争を取り上げていますが、私たち市民が意外に真実を知らされていないのでは・・と思います。
マニラの大虐殺
米兵の捕虜に死の行進をさせた・・・
南京大虐殺
真珠湾攻撃(奇襲)
全部知った上で、日本が戦争犯罪を犯した国・・・に異論を唱える人は少ないのではないでしょうか?アジアの国から日本は謝らないと言われていることに、違和感があるのですが、相手国から見たら謝らない・・・のでしょうね。
その辺りの構造もわからないです。侵略をした・・戦争で残虐な行為をした・・・こう聞けば素直に申し訳ない気持ちですから・・・。
ただ、歴史認識までが外交のカードに使われるような残念な様は、情けないものです。
謝罪は謝罪。
反論は反論。
普通にできない日本に、すっきりしなくて、違和感があるのは小生だけでしょうか?
Asian Strange Fruit なのでしょうか。
日本・・・もうちょっと頑張れませんですかねー。